<$Blog Title$>

Saturday, December 27, 2008

佐谷画廊で働いて

 この秋、短い休みをとってスイスを旅した。チューリヒ、バーゼル、ベルン……佐谷画廊で働いているとき、何度も耳にした場所をむさぼるようにまわった。クレーセンターへ続く農道を行きながら、あまりに清々しい空に思わず涙が出る。佐谷社長が生前、ツアーを率いてここへ来たとき、わたしは残念ながら東京で留守番をしていた。「近いうちにかならず行ってきなさい」社長はそう勧めてくれた。

 岩渕先生の紹介で幸運にも佐谷画廊を手伝うことになったのは、2000年の春。以来7年余りをご夫妻にお世話になった。画廊に集まるひとかどの方々、新旧の一級の美術作品、貴重な文献の数々にまぢかに接するという、ただのいちアートファンのままであったなら生涯得られるはずもなかった経験が、今わたしの血肉になっていると心から感謝している。けれど何よりも社長の下で仕事をしたこと、それがどんなに大きなことだったか。そのことをここで書かなければいけないのだろうが、まだうまく自分の言葉におさまらない。
 社長の中にはいつも、謦咳に接し尊敬してやまなかった瀧口修造、三好達治、その他大勢の故人がありありと生きていた。ときに作品を通じて心を寄せていたクレーやジャコメッティがふっとその身に宿ることもあった。わたしは本でしか知らなかったその人たちに、社長の姿や言葉を通して出会った。限りない愛情と素直な良心に基づいた使命感に突かれて、社長は身の内にその人たちを受け継いでいたように思える。脈々と連なるその精神を引き受けて仕事をする、そういう人とわたしは短くない時間を過ごすことができた。

 社長が瀧口邸の書斎を、ことあるごとに大切に思い出していたように、今、わたしは佐谷邸の書斎を懐かしく思い浮かべる。美術と文学のたくさんの書籍が収まった本棚があり、奥に大きな平机、この机で社長は毎朝ブルーブラックの万年筆を走らせて、日記や手紙を書いていた。壁や棚のあちこちには、のちに美術館に収まるモダンの大御所のタブローも、貸し画廊で偶然目に留めてもとめた無名の作家のオブジェも、川べりの散歩道で拾ったカラスの羽やどんぐりの枝、旅先で見つけた南欧の古いタイル、友人からの絵葉書や写真も、すべてが美しく愛しいものとして等しく飾られた。
 いつも美術の仕事のことばかり考えて、と周りに心配されていたけれど、社長にとっては日常の小さなことも「美術」だった。作家の指先からさっと引かれたドローイングの線も、制度と闘う仲間との電話も、奥様がつくるおいしいお料理も、中庭のオリーブに羽を休めに来る小鳥も、ぽっきりと落ちる泰山木の花しべも、すべてが楽しいおどろきをもった「美術」だった。好奇心いっぱいに見ひらかれた輝く目から、この世のどんなにたくさんの豊かさを教えられたことだろう。そんな「美術」に囲まれた毎日から、大きな美術の仕事へのパワフルな原動力が生まれるときを、わたしは何度も目の当たりにした。

 最後に電話で話ができたとき、「新しい仕事はどう?がんばっているかい」と聞かれたあと、わたしはいつもの言葉「こちらもおもしろいことが起こってね…」と続くのを待った。仕事をセーブして治療に専念するようになってからも、社長の周りにはかならず「おもしろいこと」が起こっていて、その話を聞くたびわたしは勇気づけられていた。でもこのとき社長はそう言わず、かわりに念を押すように「自分のしごと、やっているね?」とささやいた。わたしは胸が詰まった。
 「自分のしごと、やっているね?」……はたして、わたしは自分のしごとをしているだろうか、社長が亡くなってから、ときどき自問する。報告したいこと、相談したいことがたくさんある。そして今、たまらなく、社長からの返事がほしい、と思う。

山田恵

0 Comments:

Post a Comment

<< Home